【社内向け】独立から現在までの5年間を振り返る

どーも谷です。

積極採用中の当社ですが、新入社員が徐々に増え、会社のこれまでの経緯・沿革をきちんと説明しなければいけないな、と思う場面が増えてきました。

独立して5年経ったこれまでの経緯を一度きちんとまとめておこうと思い、この記事を書きました。とっても長くなりましたが、主に社内の新入社員向けです。
自分の目線から、内部事情含め、結構赤裸々に書いています。

ざっくりとした沿革はこちらにあります。

会社概要

2011年4月 新潟に移住

西新宿のITベンチャー企業を退職し、同僚や後輩を連れ、4人で縁もゆかりもない新潟に移住。入澤は同い年ですが留年していて、当時は前職の後輩でした。

前職ではWEBマーケティングや、コンサルティング、メディア運営などをやっていたので、この時点では技術的なスキルはほとんど無かったです。ビジネスを始める上での元手となるお金もまったく無く、とりあえずバイト探しから始めました。

ボロボロだった事務所を本当に安く貸してもらって、自分たちで改装しました。

ボロボロだった事務所を本当に安く貸してもらって、自分たちで改装しました。

2011年4月当時、24歳。個人事業として、「NG-life」の屋号を使っていました。当時の事はブログにも少し書いてあります。

NG-lifeのバックグラウンド

2011年5月 新潟永住計画スタート

とりあえずWEBサイトを作ってみよう!くらいのノリで、「新潟永住計画」という新潟情報を発信するブログサイトを開始。新潟のイベント情報や、観光情報などを移住者目線で紹介するくらいの内容でした。

収益はお小遣い程度。このサイトをベースに、現在のコーポレートサイトができているので、スタッフブログの古い記事は新潟永住計画を運営していた当時のものです。かなりくだらない記事も書いてました。

https://cunelwork.co.jp/?p=464

2011年6月 複数の通販サイト運営開始

香港の日本人企業の方と知り合いになったことがきっかけで、通販サイトを複数立ち上げました。仕入れのお金がなかったこともあり、ドロップシッピング形式で、在庫は持たず、売れたら香港の会社から国際郵便で日本のお客さんの元へ直送してもらう仕組みでスタートしました。元手が無くてもできるビジネスって結構あるものだと気付きました。

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放射線を測定するガイガーカウンター(米軍仕様とかの本格的なもの、震災の影響)や、SIMフリーのスマートフォン(iPhoneやBlackberry)などを販売していました。当時は需要もあって多少なり売上は上がりましたが、それでも4人が食べていけるほどではなく、夕方になるとそれぞれ事務所を出てバイトに向かう副業生活が続きました。

通販サイトの運営経験・構築経験がまったくなかったので、手探り状態の中で、Wordpress+Welcartをカスタマイズしてサイトを作りました。

2011年8月 長田が新潟に移住

僕の高校の同級生であり、大学の同級生であり、かつてのバンド仲間でもあり、僕の結婚式の友人代表スピーチをした男「オサダ」を新潟に連行し、経理や通販事務の手伝いをやってもらうことになりました。というのも、自分が絶望的に経理関係や確定申告などがよくわかっておらず、興味も沸かず、税理士試験の勉強中という名目で結構暇そうだった彼を呼び寄せたという経緯です。

2015年の夏に、東京の税理士事務所への就職が決まって、東京に帰るまでの4年間、小遣い程度の給料で経理関係や確定申告、法人設立手続きに、決算まで全部やってもらっていました…笑

長田と書いてオサダです

長田と書いてオサダです

2011年9月 新潟直送計画の準備をスタート

ドロップシッピングでの通販サイト運営の経験をきっかけに、新潟の生産者から商品を預かって販売する通販サービスの立ち上げを企画し、準備を始める。

通販サイト運営の経験が多少あったとはいえ、産地直送の通販サービスをスタートするにあたり、サイトのコンセプトの検討や資料作りから始め、運用面でのトラブルが無いように慎重に企画を詰めていきました。新潟にまったく知り合いがいなかったので、手当たり次第に電話をかけてアポを取って、新潟の食品メーカーさんや農家さんを回り、出品してくれる方を募りました。

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2011年11月 新潟直送計画をオープン

20店舗弱の生産者さん(出店者)を集め、サイトオープン。サイトの規模としてもこれまでに無い大きさだったので、当時入澤には結構無理をさせました。当時はWEBサイトの構築作業のほとんどを入澤一人が独学でやっていました。ページ作成のための取材や撮影、コンテンツの書き起こしなども大変な作業でした。

死んでるかと思いました

遂に死んだかと思いました

当時の事業収入も相変わらずお小遣い程度で、皆アルバイトで生計を立てていました。当時はWEB制作の請負などで収益を上げることはまったく考えておらず、直近の収益の為に請負の仕事をするよりも、自分たちでゼロからWEBサービスを立ち上げて長期的に育てていきたい、という気持ちが強かったです。単純にスキル不足で請負の仕事ができるレベルに達していなかったというのもありますが。

東京に比べて圧倒的に生活コストが安かったこともあり、とりあえず生きてはいけましたが、ビジネスとしてはまったく成立していなかったと思います。売れない芸人とか、バンド活動みたいな感じの生活でした。会社を大きくしたいとか、稼ぎたい、というよりも、自分たちがやりたいことにしっかり向き合っていき、結果的にそれなりに食えるようになってたらいいな、くらいにしか考えてなかったように思います。

2012年1月 ローカルメディアに取り上げられ始める

移住者が新潟の特産品に眼をつけて、通販サービスを始めた、ということが結構キャッチーだったようで、新潟のローカルメディアによく取り上げていただくようになりました。特別に、プレスリリースなどを出してアピールしたりといった広報活動はしてなかったのですが、たまたま、ネットで見て興味を持ってもらって、という形で取材の申し出をいくつもいただきました。

言ってしまえばただのネットショップなのに、ローカルとは言え、テレビや新聞に取り上げてもらえるのに驚きました。地方でWEBをやる一つの面白さをそこに感じました。

連続メディア掲載!『新潟直送計画』の展望について

2012年 5月 「新規創業サポート支援事業」の認定を受ける。

ひょんなきっかけで、新潟県(にいがた産業創造機構)の創業助成金の存在を知り、応募。期限ギリギリだったので事前相談も無く、勢いだけで提出しましたが、書類選考通過→プレゼンの結果、無事採択。事業計画などを細かく聞かれましたが、やってみないとわからないでしょの一点突破でなぜか通りました。

新潟直送計画の販促費用や、上限500万円で2年間、法人設立に関わる諸経費の2/3を助成してもらえるという内容で、これは非常に助かりました。その分、事業の進捗や、経費の使いみちなどを細かく申告しなければならず、手間やプレッシャーも大きいですが、この助成金のおかげで、楽天市場やAmazonなどの大手ショッピングモールへの出店や、受注配送管理システムの拡充など、新潟直送計画の規模拡大に集中することができました。

2012年 10月 薪割り機とガーデン家具の通販を開始

こちらもひょんなきっかけから、三条にある輸入商品の販売代理店の方と知り合い、ドロップシッピング形式で、薪割り機とガーデン家具の通販サイトを開始。なかなか手がかけられていませんが、現在もサイトは公開していて、たまーに売れます。こういった取り組みも、今後少しずつ増やしていきたいと思っています。

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2013年 1月 合同会社 直送計画を設立。

個人事業より法人成りし、合同会社になりました。それまでは全員がフリーランス扱いで、個人事業同士の請求書のやりとりだけでお金の配分をしていました。と言っても、通販で出た利益もほとんど新潟直送計画の販促などにつっこんでいたので、事業からの個人収入はこの時も小遣いレベルで、主にアルバイト代で生活していました。なので、このタイミングで会社にする理由も特になかったんですが、新潟に本社を置く「会社」の設立が助成金の認定要件の一つだったので、仕方なく手続きした感じです。

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この頃、前職の同僚で新潟に一緒に移住した梅野・山口が東京に戻ることになり、新潟に残ったのは結局、自分と、入澤と、オサダの3人になってしまいました。もっと早く、新潟直送計画や、会社を収益化できていれば、梅野も山口も新潟に残ってくれていたと思います。自分のふがいなさを痛感しました。会社としては、自分が代表社員、入澤と長田も業務執行役員という形式でした。

2013年 2月 宇田川拓未が新潟に移住

通販自体の受発注などの業務が少しづつ増えてきた中で、地元から宇田川さんを新潟に拉致してきました。大学生時代に、地元でピザの配達のアルバイトをやっていた時の先輩でした。宇田川さんは大学は卒業したものの、就職活動もろくにせず、家業の植木屋を手伝いながら、気づけばピザ屋のアルバイトを8年も続けていました。当時27歳。WEB業界未経験なのは言うまでもなく、社会人経験もほとんどない状態で、タイピングもろくにできず、持ってきたパソコンはアドウェアだらけというリテラシーの低さでしたが、新潟での割のいいアルバイトを斡旋した上で強引に連行しました。

来てまもなくは、アルバイト以外には特にやれる仕事もあまり無く、スノーボードに釣りにと精力的に遊んでいました。新潟に来て全然友達ができなかったので、新潟での良い遊び相手を確保しました。

全然釣れないのに釣り好き

全然釣れないのになぜか釣り好き

ふと思い出しましたがこの頃入澤さんは親知らずを抜いてえらいことになってました。
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2013年 5月 シロとクロを保護する

事務所の裏に空き地のようなスペースがあり、そこにわんさか野良猫がいます。子猫が2匹すり寄ってきたのをうっかり保護してしまいました。当時は4人でこもって仕事している環境だったので特に問題なかったんですが、最近になってオフィスに出入りする人が増えてきて、オフィスで猫なんて飼うもんじゃないなと心から思いました。

https://cunelwork.co.jp/blog/office/cat-photo-vol1/

2014年 3月 助成金の認定期間終了

助成金が使える2年の期間が終了し、最後に事業の進捗を報告しました。この期間で新潟直送計画の出店店舗は50近くまで増えていました。本当はもっともっと出店店舗を増やしたかったのですが、楽天市場などのショッピングモールの運用開始から、受発注、配送管理、カスタマーサポートなどの運用面での手間が膨れあがり、社内的な運用面での環境整備、特にシステム面での改修・増強、また既存商品の拡販で手一杯になっていました。

売上は、SEOやFacebookなどのSNS施策、楽天市場などへの出店を機に前年比5倍近いペースで増加しましたが、食品の通販自体の利益率が高くない上、出た利益もほとんどを販促費用にまた投資していくばかりで、大きな収益を生む段階までには至らず、相変わらず副業のアルバイトありきの生活が続いていました。

この頃には時代の変化もあり、ガイガーカウンターや、SIMフリーのスマートフォンなどの通販サイトは閉鎖しました。流行り廃りの大きい商材でのビジネスは当然長続きしません。WEBサービスなど、形のないもので仕事をする上では、衣・食・住などの人の生活に根ざした業界やジャンルを選ばないと、長期的にサービスを育てていく環境は作れないだろう、という実感がより強くなりました。

この頃一人でスノボに行って鎖骨骨折した人。妙高まで迎えに行くはめになりました。

この頃一人でスノボに行って鎖骨骨折した人。妙高まで迎えに行くはめになりました。

2014年 4月 WEBサイト制作を少しずつ受け始める

この頃から、WEBサイト制作のお話をちょこちょこと頂くようになり、技術的な成長の実感もあって、少しづつ案件を受けるようになりました。とは言っても、新潟直送計画の運営と、アルバイトの片手間なので、月に1案件受けるかどうか、という程度。東京にいたころの前職時代に関わりのあった人からのお仕事が主だったので、新潟に居ながら東京の人と一緒に仕事ができるのは楽しい部分もあったし、依頼を受けて作ったサイトが評価されることで、これまで自分たちで独学でサイトの運営をしてきた中での、技術的な成長をより具体的に実感できました。

気づけば27歳になってました

気づけば27歳になってました

2014年8月 坂井俊がWEB制作チーム「Cuhoo」として活動開始。

現在クーネルワークの取締役を務める坂井俊がWEB制作チーム「Cuhoo」として活動開始。同級生だった崎本・大橋と3人で創業。3人共WEB業界にいた経験はなかったそうですが、独学でWEB制作の下請けの仕事を受けまくっていたようです。大手の家電メーカーに勤めていた坂井が、なぜ畑違いのWEB業界で独立しようと思ったのか、なぜできると思ったのかよくわかりません。謎の行動力。坂井・大橋は新潟、崎本は東京で、それぞれ自宅で仕事をするリモートワークスタイルで仕事をしていました。

当時のクフーとは、創業の場所もごく近所で、歳も同じ、業種も同じ、ということで、たまに飲みに行ったり情報交換をしたりするような関係になりました。新潟に来てから、同世代で独立した人と会う機会がまったくなかったので、そういう関係の組織が出てきたことは非常に嬉しいできことでした。彼らはちゃんとWEB制作の本業だけで生活できていたようなのでWEB制作で短期的にもすぐに収益を上げていたということになります。逆に仕事を受けすぎてパンクした、なんていう話もあって、当時はクライアントに迷惑をかけてしまっていた部分もあったようです。

その後、「Cuhoo」は2015年4月 に法人成りし、株式会社クフー設立となりましたが、ワークスタイルや営業内容自体は大きく変わっていなかったようです。

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2015年4月 制作の仕事が急激に増え、副業を辞める。

この頃には、新潟直送計画としても、配送管理や受発注などの運用面がかなり整備されました。いよいよ新規出店をもっと増やして、規模の拡大を!と思っていたところですが、それまでセーブしていたWEB制作の仕事が気づくとだんだん増え始め、やたら忙しくなっていました。営業活動などはまったくしていなかったのですが、ありがたいことに色々とお仕事のご依頼を頂き、自分と入澤の2人がWEB制作、長田と宇田川が新潟直送計画の受注業務などをやるという形が定着してきました。

伝説の通販受注コンビ

伝説の通販受注コンビ

新潟に来始めてから独学で触り始めたWordpressやWelcartのシェアがどんどん広がり、これまでやってきたことがWEB制作の仕事においても需要が大きいことがわかり、技術的な成長が業務の拡大にスムーズに繋がったように思いました。新潟に来て独学でWEB制作を始めた時に、WordpressやWelcartでなく、MovableTypeやECCUBEなどを選択していたら、技術面ではかなり遠回りすることになっていたのではないかと思います。

遂に副業ありきの生活にも限界が来て、アルバイトも辞めました。複数の仕事の掛け持ちはもちろん大変なんですが、まったく違う仕事なので頭もガチっと切り替えられて、トータルで見ると一日ずっと同じ仕事をしているよりも高いパフォーマンスが出せていたんじゃないかという気もしました。とはいえ、もうそんなことも言ってられなくなり、自分も1日中WEBの構築作業をやってるような環境になりました。

2015年7月 新潟県ふるさと名物商品事業認定

新潟県ふるさと名物商品事業「名物商品販売事業者」の認定を受ける。「新潟県ふるさと名物商品」として認定を受けると、国の補助金によって、割引価格でネット販売を行うことができるというもの。事務手続きなどはえらい手間でしたが、こちらとしては負担なく、通常定価の3割引で販売をすることができることになり、ここから年明けあたりまで怒涛の売上アップが続きました。フィーバー状態です。事務手続き、売上の申告作業やページ編集、膨大な数の受発注で、これを担当していた宇田川さんは完全にノックアウトされていました。

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2015年8月 長田が東京に戻り、弟を実家から連行。

税理士試験の勉強をしつつ、4年もの間、経理・決算・事務手続き・通販の受発注などの仕事をしてくれていた長田が退職。税理士事務所への就職が決まり、東京へ戻りました。

この時点で会社の人数は自分を入れて3人となり、自分と入澤の2人がWEB制作、宇田川さんが新潟直送計画の受注業務などをやるという形に。長田がいなくなることで、経理事務の作業も自分がやらなければならなくなり、またふるさと割の後押しもあって通販も年末のお歳暮商戦に向けて忙しくなることがわかっていたので、完全な人手不足に陥りました。

新潟で知り合いなどもほとんどいない状況で、仕方なく(?)、実家にいた弟を新潟に拉致しました。当時25歳だった弟は、それまで通販会社に勤めていましたが、スキル的にはかなり伸び悩んでいて、より成長できそうなフィールドを探して転職活動中でした。新潟に来てからは宇田川さんの通販運用のフォローをさせながら、WEB制作の仕事もスパルタで叩き込みました。

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たまに、兄弟で仕事をするのってどんな感じですか?って聞かれることがありますが、元々そんなに仲良くも悪くもなく一定の距離があったので変に馴れ合うこともぶつかることもなかったと思います。一応自分のほうで弟に直接仕事を教えるようなことはあまりしないようにして、早い段階で入澤に預けました。

2015年10月 クフーとの合併の話が固まる

長田が退職して以降、経理や事務手続き全般を自分がやらなければならなくなり、超わかんない上に制作も忙しく、打開策が必要な時期に来ていました。

クフーの坂井君が前職で経理をやっていたことを思い出し、制作の仕事も手伝って欲しかったこともあり、とりあえず飲みに誘いました。当時のクフーはWEB制作の仕事を一度パンクさせた経緯からか、仕事をかなりセーブしていたようでした。各自家で仕事するリモートワークの状態は当時も続いていて、会社を大きくしていきたいと考えていた坂井君から見ると、その点はマネジメント面でのやりづらさや、技術面での教育のやりづらさを強く感じているようでした。

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結局飲み会の中で合併の案が上がり、結果的にそのままとんとん拍子で話が決まりました。僕らとしても、制作にしても、通販にしても、経理事務にしても人手不足が深刻だったし、クフーから見ても、技術レベルの向上や、会社組織としての成長というメリットがあったので、お互いの困っているところや目指す形が、タイミング的にもある程度合致したのだと思います。

合併なんてうまくいくの?という意見もありましたが、年齢層もほぼ同じで、お互い少人数で組織としての文化も成熟していなかったので、わりとスムーズに進んだ方では無いかと思います。

2015年12月 学生アルバイトとして澁木が来始める

学生アルバイトとして、澁木が事務所に通い始めました。澁木は、坂井が臨時講師を務めていた専門学校の生徒でした。就職が前提ではありましたが、学年的にまだ就職は1年以上先ということだったので、とりあえずアルバイトとして採用しました。

年末はWEB制作も、通販も爆発的に売上が伸びました。そりゃもう爆発的に忙しかったです。正直死ぬかと思いました。

2016年1月 株式会社クーネルワーク始動

合併に伴い7名の会社になりました。合同会社直送計画からは、自分、入澤、宇田川、弟の4人。株式会社クフーからは、坂井、大橋、崎本の3人。あとは学生アルバイトとして、澁木が出入りしていました。

自分が代表取締役、入澤、坂井の2人がそれぞれ取締役に就任しました。このタイミングで、株式は3分割しました。代表が株式の半分持ってないのはまずいでしょ、とか、共同経営はうまくいかないよ、とか色々言われましたが、自分だけでやってきた会社でもないし、独立当時からろくに給与も出ないのに5年も一緒にやってきてくれた入澤に対しても、代表取締役のポジションを譲ってくれた坂井に対しても、感謝の気持ちと、これからもよろしく、という気持ちも込めて完全に3分割しました。

なので、実態としてはともかく、法的には自分、入澤、坂井のフラットな共同経営ということになります。

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社名の案は色々出してみたんですが、結局多数決で弟が出した「クーネルワーク」に決まりました。
糸井重里さんが日産セフィーロのCMでつけた有名なキャッチコピー「くうねるあそぶ」にかかってます。落語の寿限無の一節「くうねるところ、すむところ」からインスピレーションを得て生まれたコピーなんだそうです。

「くうねるあそぶ」も、「くうねるところ、すむところ」人間の根源的な欲求みたいなものにフォーカスした内容だと思うんですが、食べるのと同じくらい、寝るのと同じくらい、働くことも人生において大切だと思うし、ちょっと遊び心も感じられて、個人的には気に入っています。

ロゴはご近所に住んでいる星山さんという女性デザイナーさんに作っていただきました。RGBの3原色を食・寝・働になぞらえています。

名刺も作ってもらいました。名刺の裏の色が、人によって違うんですよ。赤・青・緑で振り分けられています。

自分のは緑です。

自分のは緑です。

星山さんには継続的に、デザインの面でうちのプロダクトの多くを手伝ってもらっています。ロゴデザイン、名刺デザイン、WEBデザイン、なんでもできるすごい人です。
星山さん以外にもエンジニアをはじめとした外部のパートナーがいます。今後もそういった繋がりは積極的に作っていきたいです。

2016年5月 新入社員3名入社

亀山、片桐、川原の男3名が入社し、10名の会社になりました。亀山は通販営業、片桐・川原は制作部に配属となりました。

全員集合!

全員集合!

通販スタッフは、宇田川、大橋、亀山の3名。それ以外は主にWEB制作を中心に行っています。
新潟直送計画としては、亀山の参加によって新規出店ペースが大きく加速しました。

制作部としては、片桐・川原ともに絶賛修行中というところですが、それぞれが日々成長しているのを感じます。

1Fフロアを増床したので、通販事業部は1Fフロア、制作スタッフは2Fフロアを主に使っています。1Fフロアのリフォームは、高校の先輩 澤田さんにお願いしました。低予算の中で手を尽くしてもらいました。

東京の建築事務所です。勝手に紹介します。
Sawada Hashimura studio

通販事業部

おしゃれな1Fオフィス

夜は光がこぼれます

夜は光がこぼれます

2016年6月 戦略産業創業支援事業に認定

新規雇用の人件費が一部される助成金の申請が通ったので、採用活動をより強化中!
新潟県の戦略産業分野(「食」「先端ものづくり」)における新たな雇用を伴う創業・第二創業を促進するため、新たな雇用に係る人件費を中心とした経費を助成してくれるというものです。

2016年8月 さらに新入社員3名入社予定

ということで8月からさらに3名が入社予定です。通販2名・制作1名です。主にその人達に会社のこれまでを伝えたくて、この記事を書いています。
これで社員13名+バイト1名です。大丈夫なんだろうか。

外部のパートナーも会社に来ていることがあるので、なんだか賑わってきました。

1年前までバイトしながら、自分と入澤と宇田川さんの3人で細々と営業してたのに、気づいたら会社が5倍近い規模になっています。
急激に人が増えて、それも多くがWEB業界未経験者ばかり。組織としてどうまとめていくか、というのが当面の自分の仕事になりそうです。

頑張っていきたいと思います。
今後共よろしくお願いします。

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WRITER

谷 俊介

代表取締役 谷 俊介

この会社の代表取締役。1987年生まれのゆとり第一世代。
大学在学中から西新宿のITベンチャーでSEO/SEM・WEBマーケティングに携わった後、23歳の時に愉快な仲間達と新潟に移住し独立。

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