非常識な常識を求めた「セカンドキャリア」

中学から30歳まで、三食の飯より野球が好きで野球一筋の人生を進んでいた男。

いわゆる「野球バカ」な男。

20年以上同じスポーツに打ち込んだこともあり、今になっても「情熱」という言葉がパートナーとなっている男。

PASSION OFFICE WORKERこと2020年4月入社のMIZUSAWA JUNである。

 

知る人は知る「オヤジ思春期」

大学卒業後、縁があって地元の金融機関に就職し、バンカー人生を歩んだ。

25歳の時、3年目の壁にぶち当たって転職を考えた時期もあったが、冷静に考えて今の環境で自分自身のキャリアを積むことにした。

泥臭く営業していたが、「辛い中に楽しさあり」な感じで順調に成績も出していた。

毎年、120人で競う営業成績で表彰を受けたり、出世したり、出張で四国やシンガポールにも行かせてもらって、それなりに楽しかったのは事実である。

30代半ばになる頃、会社組織の中である役職・職制に就いたか就かないかでワクワクすることが逓減している気持ちに気づいた。

何かを創造し、世の中に価値を提供していると実感するワクワクな感情を抱き始めている自分を発見した。

知る人は知る「オヤジ思春期」に突入だ〜!!

就活以来の自己分析やフレームワーク、定性面の財務分析をしてみた。

例えば、転職という事象にはてはめて考えると、

PLは「新たな会社での給与や満足度」

BSは「新たな会社で働くことで自分にどんな資産が追加されるか」

に相当するのではないかと考え、BSの部分が重要であり、大切なものだと思った。

現実逃避するために海外へ逃亡
現実逃避するために海外へ逃亡

忘れられない言葉

大学時代の恩師(監督)からもらった言葉がある。

「大きな可能性を秘めている会社で、未来を創造してみろ!」奇業(キギョウ)に勤めろ!

建物に止まっているだけのような企業や、己だけが突っ走るような起業では未来は創造できない。

同期は18人。入学当時、52人いたメンバーは現実逃避による脱走やら遊びたい欲求やらで離脱していった。

野球で家族を養う者は1人いるかいないかだ。残りの者は社会人として企業に就職して家族を養う責任がある。

野球で培ったリーダーシップ能力や協調性など、キャリアを活かすことができるフィールドを探す必要がある。

社会や会社に必要となる人間にならない限り、代わりの人材はいて不要な人物になる。

大学の恩師は、創部当初のグラウンドも道具もままならない環境の「ゼロ」から組織づくりを始め、「日本一のチーム」を創る目標を掲げていた。

組織を創り上げてきた恩師の言葉には説得力があった。

今でもビジネスの「物差し」としているビックキーワードが「奇業」。


HIU戦士と恩師

セカンドキャリアの決断

人と人をつなげるパイプ役として、バンカーキャリアとマーケティングを融合することで企業の伴走者として地域経済のアップデートに繋がると思った。

「ローカルビジネスの未来を創る」ため、点と面のアプローチによる地域課題解決に取り組んでいる。

技術で人と思いを繋ぎ、地域のビジネスに新たな使命と誇りを生み出そうとしているクリエーター集団がいた。

人口減少とともに経済規模の縮小が進む新潟の中で、地域社会と共に生きるIT企業のメンバーとして新潟経済をイノベーションしてみたい。

成長期のメンバーとして参画して、ワクワク感を持って伴走したく決断した!

 

自分の時間を生きる

「他人の時間」を生きるのではなく「自分の時間」を生きることで、「好きなことを、好きな人と、好きなように」やっていきたい。

まちの経済を循環させる地域商社の役割に携わってみたい。

県外・海外からお金を稼ぐため、まちに埋もれているような地域資源を探しだし、新たな商品や仕事をつくってみたい。

稼いだお金を、事業のスケール化する事業所や人材育成、未来経済創造の利活用資金として還元するようにしたい。

地域のエンジンのような循環組織の役割である。

また、時間を記憶として残していきたい。

36歳で14年間で積み上げた肩書を捨て、

ファーストキャリアにWebマーケティングを掛け、自分のアップデートを図りたくセカンドキャリアの道に進んだ。

愛娘に「オヤジが携わったローカルビジネス」だと言える粋な男になりたい。


肩は回りません(笑)

 

 

 

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